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168件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-06-01 第204回国会 衆議院 環境委員会 第13号

本当に、古くはシーボルトとかトーマス・クックとか、いろいろな人が多島美ということでこの瀬戸内海の美しさをたたえられておりましたし、残念ながらコロナでちょっと途絶えましたけれども、インバウンドも非常にこの間、瀬戸内海は多かったんですね。ですから、海外のメディアからも行くべき目的地一つとして瀬戸内ということが挙げられたぐらいになっていたので、観光資源としても非常に重要だと思っていて。  

玉木雄一郎

2011-10-27 第179回国会 参議院 国土交通委員会 第2号

一八二六年にはドイツのシーボルトが船で瀬戸内海を往来するわけですけれども、このとき言ったのは、これまで日本で見た景色で、見た最も美しい景色一つだと、そこまで言っている。  それから、このシーボルトがそういうことを書いて、おかげで欧米人の間で瀬戸内海見ようじゃないかというブームが起きて、十九世紀幕末から明治時代の終わりに、欧米人がこぞって瀬戸内海を航行されると。

谷合正明

2007-05-15 第166回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

藤本政府参考人 ちょっと補足をさせてもらいたいと思いますが、地図とそういう国防とのかかわりみたいな話、伊能図も、先生御承知かどうかあれですけれども、シーボルト伊能図海外に持ち出したというので、結局、その持ち出した張本人、伊能忠敬の恩師の息子さんが獄死をしているとか、何人もつながれたとかいうこともございますし、明治に入っても、地図機密漏えいをしたということで、いろいろな事件が起こったりしております

藤本貴也

2007-05-15 第166回国会 衆議院 国土交通委員会 第18号

○土肥委員 シーボルトが持ち出したのは、これはやはり日本機密情報地図情報を持ち出したわけでございまして、それはとがめられるところがあるわけでございますけれども、江戸幕府伊能忠敬に計測をさせて、それは立派な日本地図が初めてでき上がるわけですから大変結構なことですけれども、何か軍事情報関係があるのかなということを懸念しただけでございます。  

土肥隆一

2007-04-12 第166回国会 参議院 国土交通委員会 第9号

北澤俊美君 繰り返すようでありますけど、先ほどのシーボルト事件は蛮社の獄として我々も中学校の社会科の勉強で教わったような気がいたしますが、先ほどの川上冬崖も結局は冤罪であるんですけれども、横須賀造船所が造成されようとしているときに横須賀地図を外へ出したと。そうでなくて、本当はそうでなくて、裏で、それが出された形にして、それがまた封を切らないまんま山県有朋のところへ戻っていたと。

北澤俊美

2006-04-12 第164回国会 衆議院 外務委員会 第10号

シーボルト大使に会っているわけですね。  そのときに先方から説明があって、その一番の焦点が八ページ目から九ページ目に書いてあるんです。何て書いてあるか。これは日本側がとった意図でもあるんですけれども、八ページ目の一番最後から、「この点を明白にしておくため、「この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持並びに外部からの武力攻撃に対する日本の安全に寄与するために使用することができる。」とする。

山口壯

2000-11-09 第150回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第1号

そのために、例えば坂本竜馬だとか、これは幕末ですが、あるいはもっとさかのぼれば豊臣秀吉だとか、あるいは外国からはシーボルトだとか、そういうさまざまな歴史的な人物がそこに行き来をして、そうしたものが一連の文化財となって残されておる。  国の指定文化財は全部で、史跡や名勝を含めて九つも、小さな町、人口が六千人か七千人ぐらいのそんなところにある。あるいはまた県の重要文化財、これが八つ。

石井紘基

2000-05-11 第147回国会 参議院 文教・科学委員会 第16号

そういう中で、大変ショッキングなのが、一九四七年九月に、昭和天皇が側近の寺崎英成GHQに行かせて、GHQ政治顧問シーボルトに、アメリカ沖縄を二十五年ないし五十年、あるいはそれ以上軍事支配することは、アメリカ利益になるのみならず日本利益にもなると、いわゆる天皇メッセージを発した。これは私たち沖縄の人にとっては大変衝撃的なことでありました。そのことは明らかです。  

照屋寛徳

1998-06-03 第142回国会 衆議院 文教委員会 第16号

例えば、今でも重要文化財指定している例として二つ挙げますと、徳川家康関係資料の中に日本製火縄銃二丁が、これは幾つかの中の一つとしてこの火縄銃指定をされておったり、あるいはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト関係資料の中に英国製短銃が一丁、重文に指定をされておる。そういった現状になっておりますので、これらクラスになるとそういう登録の対象にもなり得るというふうに考えております。

遠藤昭雄

1988-05-20 第112回国会 参議院 災害対策特別委員会 第4号

説明員小林孝男君) 今お話がございました旧島原藩薬園跡と申しますのは天保十四年、一八四三年でございますが、これは島原藩シーボルトの門人でございます賀来佐一郎らに開かせたものでございまして、江戸時代におきます本草学の発展をよく示すものとして、また薬草園の実態を示す数少ない遺跡ということでございまして、昭和四年に国の史跡になっているものでございます。

小林孝男

1986-11-21 第107回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

そういうことで、そう数は多くはございませんが、千島は先ほどから申しておりますように、アイヌの人の土地で、そこに当時のロシアの探険家日本間宮林蔵とかその他が調査に入って、倉成外相自身の属しておられる長崎関係の深いシーボルトは、時の徳川天文方高橋景保からあそこの調査資料を受け取って、それを持っていたことが、たしかそれが理由でスパイ的に見られて、最初追放されたわけですね。  

中村哲

1986-02-07 第104回国会 衆議院 予算委員会 第5号

もっとはっき言えば、二月八日にシーボルト政治顧問から国務省電報が打たれておる。この電報の中で、今申し上げたように日本米軍指揮下に置かれることは明白である、ただし明文化しないでもらいたい、はっきりこの口頭了解が証拠として、文書として残っていますよ。はっきり文書が残っているのに、吉田首相はそういう気持ちだったらしいけれども確認できないなんていうばかなことがありますか。

上田哲

1983-10-06 第100回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会 第2号

ところが安保そのものというのは、そもそもこれは、たとえばシーボルトといいまして元GHQ外交局長でありますが、対日理事会議長もなされ、あるいは対日アメリカ政治顧問でもありましたシーボルトさんが「日本占領外交回想」という著書の中で、実はあのサンフランシスコ講和会議における吉田全権代表の演説ですね、これはアメリカが草案を事実上書いて、ほとんど手直しをしてそれを吉田さんが読み上げた。

畑田重夫

1980-02-21 第91回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

簡潔に申し上げますと、一九四七年九月二十日付でシーボルトGHQ政治顧問マッカーサーに提出したいわゆる書簡の中で、沖繩処分琉球諸島の将来に関する日本天皇の見解といいますかあるいは考え方といいますか、そういう書簡が出された。これが沖繩を本土から切り離してアメリカ軍事占領支配に置く重要なきっかけになったのだ、米国の政策に大きな影響を与えたのだというようなことですね。

上原康助

1980-02-21 第91回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

その結果、何分にも国立公文書館と申しますかナショナルアーカイブズにある資料というものは非常に膨大で、かつまだ整理されていないということで、なかなかその関連の資料の発掘に手間取ったわけでございますけれども、ただ一つだけ一九四八年二月二十六日付シーボルト発国務長官あて書簡というものは外務省として見つけたわけでございます。

淺尾新一郎

1979-05-31 第87回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

シーボルト調べたのか。ケナン調べたのか。あの国道や県道における行軍、これについてはいまだに調べもつかぬのに、こういう問題となると、もう調べはつきましたと平気で言われる大臣の肝っ玉の太さというのかな、もうあきれ返って物が言えない。問題相手天皇になると、最後はかあっとなるような体質というのかな。

瀬長亀次郎

1979-05-31 第87回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

瀬長委員 いまシーボルトケナン、これは本当に公表されていますからね。事実出したのかどうかこれを追及する必要があるのです。  なぜかというと、当時沖繩天皇のこういった提言に基づいて、現にこれに書かれているとおりの形態になったのですよ、事実は。三条もそのとおり。平和条約三条によって、沖繩戦略信託統治に置く、その提案をするまでアメリカが三権を全部握る、あるいはその一部を握る、これが三条

瀬長亀次郎

1979-05-29 第87回国会 参議院 内閣委員会 第12号

説明員北村汎君) ケナンシーボルトも存命中の人物でございますが、すでにシーボルト寺崎英成氏から聞いたということで、こういう公文書を書いておるわけでございますし、ケナンもそういう文書を読んで自分の意見を書いておるわけでございまして、ですから、すでにもうシーボルトケナン考え方というものは、これはもうその文書の中に出ておるわけでございます。

北村汎